仏教をよく知らないけどね。知ってる部分で仏教は正しいと思う。その部分だけの判断では仏教を本当に理解してる人は少ないのか、歪曲させてしまうのか。そんな気はする。
結局さぁ、幸福って価値つくっちゃうと不幸って副産物が必ず生まれるんでしょ。
不幸と幸福、両方必要なんだよ。
二つあって一つ。
みんな幸福に群がるってわけにも行かない。
そういうものだから。
群がる幸福は幻なんでしょ。
群がり過ぎて、副産物の不幸のほうが多いんかな?
全部苦だってね。
不幸と幸福の両方揃って真実だろうから。
だったら幸福とか不幸なんて、できるだけ無くしちゃった方がいいじゃん。
真実じゃないし不幸のほうが辛いし。
小欲でいろって聞く。
なるほど。
幸福に群がる不幸と不幸に群がる幸福という構図が、出来ちゃってるワンだ。
ワンさん、それは違うゾウ。
不幸には群がらない幸福が出来てるんだゾウ。
それも多様化ってやつなのかな。
そうゾウしいな。
アイコン違うゾウ。
にゃあお-。知ってるかにゃ。
善悪で悪に群がってるにゃ。
善がお得。
いまなら倍くらいかにゃ?
効果にゃ。
高価でないにゃん。
コーンなんでは、いえないな。
でも大丈夫だろ。
火に油を注いでも仕方ない。
コーンらんしてるんだよ。
その人が寛容か寛容でないかなんてさ。
その人の人生を網羅して把握しないと決定できないぞう。
それを把握して比較すると、ぞうなるかってこと。
大概はさ。大差なさぞうだってこと。
なので比較はできないというのはあるぞう。
ぞうですか。
八正道。その通りだわん。
よく知らんけど。
できないわん。
資本主義は、そこには成立できるわけないわん。
人生を考える時間には、人生を考えなければならない。
誰かが人生を考える暇なそないといっても、そんな理屈は通用するわけない。
考える時間を渡された人を考えなくさせるなんて理屈的に不可能だ。
それを強行して成功した例があるというのか?
仮に、そのような成功があったとしても一環のまやかし。
考える時間を迎えられなかったに過ぎないことになるのである。
考えた先の考えない方法があっても。
考えた先の考えない方法。
究極には。
それなのかなぁ。
考える時間には無理。
悟るということについて意見を書くぞう。
悟るというのは、悲しみの集大成となる智慧のこと。
俗に悟ったんだと豪語する人がいるけど、殆ど悟ってなんかいない可能性が高いと思う。
なぜなら悲しみと対峙する力であるというニュアンスを含まないことが多いし、発信源から確認したことがないのでね。
悲しみないところに悟りは必要ない。
そういうことになるんだと思うぞう。
それとも悲しみのない悟り
唯我独尊的な悟り
そういうのもあるのかな
悲しみがあるから
唯我独尊という言葉が成立する
悲しみは関係上にあるのに
自分だけのものであって相手のものではない
と考えるのかな
それでは関係ある幸せにはなれるわけないよね
自分がエゴを楽しいと思ってるから
エゴの仕方を善意のつもりで教えてるんだろな
それが不幸のもとなのに
はっきり言えば、世界は基本的に間違えているんだが
間違えに気づけば、世界は間違えてなかったということにもなり
結局、気付くということしかないんだよね
優しさと自他の一体意識と
それ以外にないでしょ
それに耐えられなくなって
自分ばかりという
不公平感が集って
僻み根性が露呈してくるんだよね
それに耐えてこそ
という真髄
それを
悟り
というのであろうか
端的にいえば利他に生きるでバランスとるしかないのだが
辛いんだよ
世界のエゴイズムが強すぎるのよ
利他ない世界は
地獄模様
自分が自分がの苦労を正しいと思ってるでしょ
だから、おかしいんだよって気づけないでしょ
自分が自分がで苦労して楽な生活をつかみ取って
これ幸せと思う
それをやってるのさ
そうでしょ?
優劣前提意識ってやつがさ
醜態以外のなんでもないんだけど
幼児性というか
その理解できない人が多いんだと思う
みんな一緒で幸せなんだよという感覚や知識を持てない
その理由は定かではないけど
どこから引きづっているのか
なぜわからないのか
皆で幸せになるためにという
大義名分さえが立たないんだよね
それに飲まれる現代人でしょう
どうすりゃいいの
誰しも一度は長いものに巻かれて。もしかしたら自分が間違えているんじゃないかと考えるわけで。
でも結局、誤った忖度の結果は不運に遭遇して、誰も信じなくなる。
そこに響く教えが自灯明というものではないかと思っておりますぞう。
八正道の理解が先になければ、その自灯明というのも灯らない。
そういうことになるのでしょうね。
自灯明というのは最終的な理解の域だろうか。
改めて勉強しなくても、認識と、基本的には大差ないんじゃないかな。
なんてことを口外すれば、酷い目に遭うのかな。
そうかも。
口外しなくてもか?
30年間で仏教徒は4000万人減ったとな。そうだよな。
この話は、このへんで。
因果応報の難しさ
こどもでは叱られないことも
おとなでは叱られる
そういう難しさもあるだろう
ぞう?
誰とも関わりを持たないで生きていくなんてさ
そういう生活環境なら
それもいい
ひとりで生きれる生活環境をつくらないのなら
そんなことすなよ
信じられないのはさ
人の〇は蜜の味
とかいってる人
これは
ふつうに
ヤバい
大丈夫なのか
NOGOOD
に決まってるじゃん
純心というものにあれば、なにも敢えて学ぶ理由なんてあるのだろうか。
純心を学ぶ。
純心が学ぶこととは何か。
純心に幸いを。
食べ物だって美味しいと感じなくて
生命維持の目的だけで食べているなら
必要以上に欲しいと思わない
苦しみもない
だけど食べ物は美味しいものと記憶にあるなら
必要以上に欲しいと思わなくても
苦しみにある
嘗ての味を思い出すための旅に出続けるはずだ
結局、コミュニケーション取るのが難しすぎて出家しなさいってことなんだろうから
誰にも頼れないように自明灯が説かれて
おいといて
コミュニケーション上手く取れないのは多い少ないの不公平感によるもの
分配の問題で生活に問題がない人は努力のたまものといって正当化
奪い合ってるに過ぎない
そうではないと言えるなら聞いてみたい
余計なものはいらない
余計なものが欲しくなるのは
人が持っているから
供にありたいから
競争なんてくだらないに決まってる
大事って
そういうのがないと出来ないのは
程度が低いからだ
こどもの比べっこと同じ
必要なものが準備出来たら
さっさとやめるんだよ
やめられないんだから
低いんだって
何年前になるかな
即身仏のこと考えてたのは
どうして非現実的なことに願いを托せたのか
当時は理解できなかったんだよね
なんて厳しいのだろう。
八正道という道。
できるまで続くのだろうか。