なぜ分かり合えないのか
なぜ通じ合えないか
分かり合えないことが納得できない
通じ合えないこと納得できない
それでは礼拝に至れないのでしょうか
納得できないから礼拝だとも言えるし
納得できるから礼拝だとも言えるのだと思う
つまり何れにしても礼拝なのだ
通じ合えない
分かり合えない
事実だけは
恐らく
普遍
なのです
がたきこと
抗いことは苦しみ故
避けたいのです
肯定したい立場程
肯定をして
否定したい立場程
否定をする
在りがたきこととは
否定したい立場ゆえ立場を肯定をするは在り難きことです
その礼拝には感謝と願いが伴うでしょう
在り難き
在り難き
在り難き
在り難い?
有り難い?
在り難いか
在り難いですね
あり難いに違いありません
ありがたいの語源について
ザッと確認してみたところ
自説は見当たらないようですが
誤ってないのではないかと思えます
かみ砕きますと
通じ合えない分かり合えない普遍的現象の事ではないかと
つまり在り(有り)難いのです
どんな捉え方でも礼拝へ導かれます
ありがたい
礼拝へと
奢り高ぶり慢心に
それに気づかず
喜びを見てしまう
生物学上の最高峰であり
これほど優れた立場はないと
奢り高ぶる満足に
完成された礼拝はない
ことわかります
一つには
いと小さき立場であること
周囲を見れば人間だらけ
明るく楽しく過ごす方法をも知っていて求められる
そして奢り高ぶり
礼拝から
離れる
苦しみから逃れたい気持ちと
苦しみがあるから成長するという意見とがあります
心地よく過ごしていればすべてうまくいくのだ
と
そのように聞かされました
心地よく過ごしていればすべてうまくいくのだ
と
そのように聞かされました
人からです
心地よく過ごしていればすべてうまくいくのだ
と
そのように聞こえてきます
子どもらの無邪気な明るい声が
受動的苦境は目的化されていない
もし目的化されているならば
左程思い悩むことなく
能動的な苦境とほぼ同一扱いできる
と思います
人生の本質を理解するということに
礼拝
が位置するのでしょう
この)人生において礼拝が如何に重要であり
また分かりにくいことにあるか
信じる行為ですが
解る要素は多々あるのだと思えます
実は科学解明の済んでいる可能性は高い気がしています
恐らくといいますが科学的に人生の真髄は解明されているのではないでしょうか
世界が相対的であるのは確実なので
そこから数学的に求められることもあるでしょうし
知って知らないふりをするように世の中は動かされていて
それは余りにも違和感にあると感じられています
もしあれを努力の成果だと自惚れていないとするならですが
それにしては恩恵が多すぎるのではないかとか
そういう話もありますよ
でないとするなら努力の成果であると自惚れているということです
努力の成果だと自惚れていないとするならば
恩恵が大きす(←いちおう修正)ぎる