Re: 我と欲 投稿者:呟日 投稿日:2025/05/16(Fri) 11:27 No.661

一般的に我と欲は同一視されていて合わせて我欲とされる印象がある
欲を捨てるのは能動的に希望を失うこと
だからといって能動的に絶望するわけでもなく
ならば受動的希望絶望とは我のことといえましょうか?
諦めの境地といいますか?
欲捨てても我はあり
我ある限り


Re: 我と欲 投稿者:呟日 投稿日:2025/05/16(Fri) 11:32 No.662

もともと欲とは能動的な希望であり
絶望は後発で希望が発せられない限り生じない
そういう特性だから
でしょう


Re: 我と欲 投稿者:呟日 投稿日:2025/05/16(Fri) 11:35 No.663

地球にも宿命や運命があるでしょう
宇宙秩序の統制下にあるといっていいのかな


Re: 我と欲 投稿者:呟日 投稿日:2025/05/16(Fri) 11:37 No.664

地球の宿命的限界

そういうものを検討してみたい気もする


Re: 我と欲 投稿者:呟日 投稿日:2025/05/16(Fri) 11:38 No.665

諦めの境地か


Re: 我と欲 投稿者:呟日 投稿日:2025/05/16(Fri) 12:09 No.666

地球は苦界
人は欲界

地球が苦界であり
人が欲界に生きるも

宿命や運命づいた理由があるだろうから
高次の介入もなく
成立しているものだろうと思いますね


Re: 我と欲 投稿者:呟日 投稿日:2025/05/16(Fri) 12:36 No.667

人として最高の生き方はあっても
それは厳しく至福であるということではなくて
そこに至福があるとするなら
最高の生き方ではないのだと思えます


Re: 我と欲 投稿者:呟日 投稿日:2025/05/16(Fri) 12:38 No.668

そんなこといいたいわけありません
その件
これ以上は閉ざさねばならないとおもいます


Re: 我と欲 投稿者:呟日 投稿日:2025/05/16(Fri) 12:58 No.669

なにも意味も見出さず
果てていくなら
壁にぶつかるまで
繰り返すだけだろう


Re: 我と欲 投稿者:呟日 投稿日:2025/05/16(Fri) 13:08 No.670

清らかなるもの
心で修められ揺るぎなく
肝に銘ずることさえできるものなら
言語化なんて意味のない
煩わしい作業はしなくなれるだろうけども
この過程このプロセスでは必須だ
と思うのです


Re: 我と欲 投稿者:呟日 投稿日:2025/05/16(Fri) 13:15 No.671

肯定できるなら人間界で留まるだろうから
人間界は否定していきたい
そこにあるのが礼拝です


Re: 我と欲 投稿者:呟日 投稿日:2025/05/16(Fri) 13:25 No.672

誤魔化して逃れようとせず納得して落とし込む目的で
わざわざ言語化の煩わしい作業をしているのであります


Re: 我と欲 投稿者:呟日 投稿日:2025/05/16(Fri) 16:41 No.673

成長の星と考える私見によりましては
過程を終えては意義を失う道理的理由から
苦境の発症時期は後発であると考えられ
人体学的な規則性からも恐らく間違いはないのではありませんか

大難を小難にするというのは
いつどの早い段階で気づくことだと言われてるでしょうか

気付かなければ振れ幅が大きくなっていくということも道理的に正しい見方ではないのでしょうか

自説的には気付くまで続行される成長の星ということで見ています


Re: 我と欲 投稿者:呟日 投稿日:2025/05/16(Fri) 16:50 No.674

苦境が後発というと嫌な印象です
先発だと仰る方もおられるでしょう
最初に努めて苦と対峙するから
後に楽を得られるのであると主張されると話は食い違ってきます
これは地球が成長の星であること前提にしています
ねんのため


Re: 我と欲 投稿者:呟日 投稿日:2025/05/16(Fri) 17:04 No.675


三次元で苦しみの後に条件が重なると楽がくるように
地球で苦しんだ後も条件が重なると楽がくる
立場上推察しかできませんが宇宙も多層構造であり
構造自体は永遠のように引き継がれている


Re: 我と欲 投稿者:呟日 投稿日:2025/05/16(Fri) 17:07 No.676

なんとなくわかってることかもです
整理して言語化してみるとモヤモヤが晴れてきます


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