大概共通して言われることが
気分良く過ごしていれば運は自ずとやってくる
これについて考察しようかと思います
単純に幸せな気分で過ごしている人は
気分が幸せなので確かに幸せであるに違いありません
ですから大概は気持ちを偽ってでも幸せを演じろと言うことですよね
心で泣いていても歯を苦縛りながらも笑って見せるみたいな
心で泣いていても偽っていけば段々と運が味方してくれるんだと
そういう芸当のことを言われるものと思われます
ここまでは当然の話と言われるかもしれませんね
ということは
問題を問題としない話と思うんですよね
ということでありますと問題は最初からないんだよという話であって
運が味方する味方しないとは少々意味合いの異なってくる気がしていて
本質は寛容な人となる手段にあるかもしれません
寛容な人になれたからこそ運が味方するようになる
そういった話の可能性はありだと思えます
文章が添削修正なしで分かりにくいので
要するに
寛容な人になれるため運が味方するようになる
恐らくこういったことでしょう
つまり手段の違いにあって清らかになると同義ではありませんか?
清らかであるとは幸せで気分良く過ごせる状態であります
逆引きで幸せで気分良く過ごせる状態を演出することで道を模索していこうとする
そういうことでしょうかね
だとすると文明が人生を模索する手段と大差ないのかな?
幸せで気分良く過ごせる状態とは何か
それが不明なことに違いはなさそうですけど・・
偽ってでも気分良く過ごす
それをああだこうだ言うのは
よくなかったと思っています
申し訳ございませんでした
日本人は平和ボケと揶揄されてきたことがあります
ことなかれ主義ともいいますかね
だからどう
とも
言えないか
人生
は
むずかしい
ものだ
なにかいいたいくせに
なにもいいたくない
なにもいわないべきだとおもいました
いのります