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幸せの原点

刺激が大きい時イコール無知であると言えるかもしれません
順応や理解に精一杯で
善悪だとか常識だとか恥じらいだとか
すべて飛び越えて取り組み学んでいきます
こんな状態に近いときに人と出会う
それはきっと人としての喜びであり幸せの原点に触れる機会で

たとえば恋愛していて
本当に大好きな相手といるとき
場所や時間目的など関係なく幸せを感じられたり

そんなところに幸せの原点はある

(気がする)

呟日 2025/04/13(Sun) 10:04 No.390 [返信]
Re: 幸せの原点
人との繋がりを歓ぶ過程においては
相互理解が必要なため
自らの経験を介して
相手が喜んでいるか嫌悪を抱いているか可能性を探っていく
その時点で卑しくもなっているのと
可能性は無限に広がっていくので
出会いや繋がりを歓ぶ機会を逃してしまう

方法として信頼関係を築いていくこと以外
記憶を失わせるほどの刺激を得て契機としていることもあり
そういった共通認識の出来る出来そうな物象を介して到達しようとするものと考察する
過程にある自らの経験が何のためにあるか
目的を明確化するならば幸せの原点にあるとおもう

だが条件を介さず直接的な出会い繋がりを歓ぶ機会を得るのは非常に困難なのだと

そのようにしてパラドックスへと突入していく

(ではなかろうか)

呟日 2025/04/13(Sun) 10:22 No.391
Re: 幸せの原点
立場を越えて歓び称え合える場所に幸福の原点はある
薄々ながらでも多くの人が機会を得た経験はあると思う
そこには到達できない認識を強化することは
それほどに望ましいのだろうか

呟日 2025/04/13(Sun) 10:39 No.392
Re: 幸せの原点
陰と陽
分断と統合
現象化が分断であり陰であるなら
非現象化が統合であり陽になる
現象化された中での陰と陽ばかりに
気を取られてはいられない

呟日 2025/04/13(Sun) 11:04 No.393
Re: 幸せの原点
分断は統合のようであり統合は分断のようでもある
分断しているようでありながら統合に近づいたり
統合しているようでありながら分断化していたりと
そういうことにあって
パラドックスは成立する
結果的に分断が統合を統合が分断を齎すことではなくて
生命は陰陽法則上に存在していて
その立場から陰陽を越えて見解を示すのは困難なためである
(と)

呟日 2025/04/13(Sun) 11:13 No.394
Re: 幸せの原点
陰と陽続
分断と統合
現象化が統合となり陽となる場所あるならば
非現象化が分断であり陰になる場所もあるわけで
宇宙は広大
可能性は無限大

呟日 2025/04/13(Sun) 11:24 No.395
Re: 幸せの原点
かしこみかしこみ申します
呟日 2025/04/13(Sun) 11:26 No.396
Re: 幸せの原点
善悪の有無について
三次元では必ず善悪の概念がある
なのに善悪はないと主張する人がいる
これは何か
その人は善悪に縛られて生きていないのだろうか
状況かわれば法も犯すのか
そうではないようで
環境により右往左往する
罪を憎み人を憎まずみたいな認識だろうかと第一に思う
しかし罪というからには悪であるだろう
であれば悪により善が生じて善により悪が生じる
そういうことを言っているのか
それとも人により異なる価値を語るのか
それとも地球を乖離した見地から中庸として申しているのか
果たして善悪ない完全な中庸など成立しうるのか
正しい目的つまり真実あるならば目的を目指すこと
それは善といって良いではないかと思うわけです
真実を目指すことは善悪ではないのか
だとすれば善悪とは一体何か
どんな概念で用いているものか
【善は道義的に正しい事または倫理に沿った行いや理想的目標】
とある
道義的に正しい事または倫理に沿った行いや理想的目標
あまりにも知らなすぎるようになったのかもしれません

呟日 2025/04/13(Sun) 11:56 No.397
Re: 幸せの原点
それも奇妙な話である
人に歓ばれ称えられる人になりたいと
でも人が歓び称える人とは
人に歓ばれ称えられる人になりたかったとは限らない
そして本当に幸せなのかの疑問は残る
その疑問は少数だからなのか

呟日 2025/04/13(Sun) 14:08 No.398
無題

眠れなくなった
殴られた気分だ
考えたくない
結局こう
どうにもならない
猫だけが救い

2025/04/13(Sun) 00:30 No.389 [返信]
童心にかえる

ごっこ遊びが楽しいころ
空想に希望を抱いて夢中になる
その本質的な部分は成人になっても違わないと感じられる
成人が童心にかえり
ごっこ遊びを楽しめなくなるように
その先に何があるか
知られていないことかもしれない

呟日 2025/04/06(Sun) 09:35 No.381 [返信]
Re: 童心にかえる
幸せは清らかなることに集約される
これは間違いないだろに
なぜそのように

清らかなる定義が曖昧になってしまったり
でも
幸せは清らかなることに集約される
この部分だけなら定義されても良いのではないか

定義されないのは
それを信じられない人たち信じたくない人たち考えられない人たちがいるからだろう

呟日 2025/04/06(Sun) 09:53 No.382
Re: 童心にかえる
笑顔は心地よく楽しい
万人共通ではないだろうか
それを否定するならば
既に病んでしまっているということ
どこにも幸せを見つけられない状態にあることだと思う
笑顔が気分よく楽しいのであれば
そこからも幸せが清らかなることに集約される
ロジック成立していく
のではないのか

呟日 2025/04/06(Sun) 09:57 No.383
Re: 童心にかえる
きっと本当の幸せを掴めている人は皆無なので
この世界は問題だらけだと
ここまで発言しても大丈夫だろうけど
問題に対しての詳細は控えるべきことが多すぎる

呟日 2025/04/06(Sun) 11:02 No.384
Re: 童心にかえる
様々な立場を考慮すると言葉に出来ることは極端に少なくなる
夢を語りたい

呟日 2025/04/06(Sun) 11:25 No.385
Re: 童心にかえる
期待しなければ言葉も起きない
言葉も起きなければ夢も希望もない
夢も希望もなければ絶望もない
絶望もなければ期待もない

その先にあるもの

なんでしょうか

呟日 2025/04/06(Sun) 11:36 No.386
Re: 童心にかえる
結果論として感謝に値する良い人生だったということは珍しくない話でしょうけど
表裏見て理想的な人生を送れた人の実例を知っていますかと

呟日 2025/04/06(Sun) 15:17 No.387
Re: 童心にかえる
殆ど言葉に出来ないですね
呟日 2025/04/06(Sun) 15:19 No.388
パラドックス

世界は広い

言葉は可能性を擽る希望になると同時に絶望を意味する
そして絶望は狭義の可能性を擽る希望となり

自由と希望は同じものとされる
希望は決して自由ではない

自由意志は経験則に基づく偏った見解であるのですから

呟日 2025/04/05(Sat) 10:07 No.375 [返信]
Re: パラドックス
程よい加減
いい加減さ
どの加減か

世界の広さを知り
希望と絶望を知り

やがて世界で中庸を目指すようになる

そんな日が
いつの時代か来るのかどうだか

呟日 2025/04/05(Sat) 10:12 No.376
Re: パラドックス
慙愧に堪えない想いを正常に処理できるなら
次には懺悔が到来するでしょう

呟日 2025/04/05(Sat) 10:16 No.377
Re: パラドックス
パラドックス
呟日 2025/04/05(Sat) 10:18 No.378
Re: パラドックス
だからパラドックスだと申しているんです

パラドックス

呟日 2025/04/05(Sat) 10:19 No.379
Re: パラドックス
世界の広さを知ることには希望と絶望とが同居する
愛にも似ているのかもしれません
この言動に立腹する必要はないと思えますが世界は広い広すぎる

呟日 2025/04/05(Sat) 12:09 No.380
祈り

なにもどこにも期待できなくなったとき残る祈り
信心がなければ祈れなくて
いつもどこかに期待していたので祈り方のわからない時期が長った
純粋な祈りを捧げられるとは
どんなことか

呟日 2025/03/31(Mon) 09:24 No.373 [返信]
Re: 祈り
幸せを求める目的は同じなのに
様々な立場が相対的に存在して交錯する
一言でいえば残念としかいえない

呟日 2025/04/03(Thu) 13:44 No.374

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