なぜ中庸に至れるのか
確証を得るからです
生きていると理不尽にも遭いますが
それは理不尽ではない理不尽であるのだと
そうでなければ
中庸に至れる道は途絶えます
Re: なぜ中庸に至れるのか
このへんは
言葉に
沢山の障壁があります
無論
中庸に至れていないからです
自意識過剰は善ではないのか
2025/06/07(Sat) 17:26 No.765

言葉に
沢山の障壁があります
無論
中庸に至れていないからです


Re: なぜ中庸に至れるのか
中庸に至り全てに納得したであれば
無駄口を発すればリスクが勝り必要は失せる
そでしょ
自意識過剰は善ではないのか
2025/06/07(Sat) 17:32 No.766

無駄口を発すればリスクが勝り必要は失せる
そでしょ


Re: なぜ中庸に至れるのか
中庸を理解する人が言葉を発するのは
期待や信頼があるからなのでしょうけど
気持ちが期待や信頼に傾倒していけば中庸からは乖離する特性なので
完全に中庸に至る前とか機縁あるときくらいの言葉が最高の助言なのか、も_?
自意識過剰は善ではないのか
2025/06/07(Sat) 17:54 No.767

期待や信頼があるからなのでしょうけど
気持ちが期待や信頼に傾倒していけば中庸からは乖離する特性なので
完全に中庸に至る前とか機縁あるときくらいの言葉が最高の助言なのか、も_?


Re: なぜ中庸に至れるのか
語弊誤解を受けると思うのはわかるので
もう
あまり書けることもない感じですね
自意識過剰は善ではないのか
2025/06/07(Sat) 18:02 No.768

もう
あまり書けることもない感じですね


あ
いや笑笑あのさ笑笑笑って感じ
まだ文句があるんだ。
まあそれはそうか
いやね、たしかに私がドラマやら映画のごとく甲斐甲斐しく笑優しく笑?見守る笑笑笑笑笑笑笑???とかしてやったらみんな幸せなんでしょうね!!!!!!?????!!!!????
そうだよ
あーあ枯れちゃった汚い
だから何だよだからなに?!!!????!!!????
知らなすぎる沈黙
沈黙には絶望も期待もない沈黙と
絶望も期待もある沈黙がある
完全な絶望なら声は上がらない
完全な期待でも声は上がらない
絶望や期待は現象にある
Re: 知らなすぎる沈黙
その声を否定する声は
現象に求めろと期待するけど
その声を否定する声も
現象に求めてはいないという
完璧な期待
充足を求めさせたいのだろうけど
そのような現実ならばない
呟日
2025/06/04(Wed) 11:37 No.760

現象に求めろと期待するけど
その声を否定する声も
現象に求めてはいないという
完璧な期待
充足を求めさせたいのだろうけど
そのような現実ならばない


Re: 知らなすぎる沈黙
つまりは
そういうことになります
不完全なのは人であり
世界は完全である
呟日
2025/06/04(Wed) 11:41 No.761

そういうことになります
不完全なのは人であり
世界は完全である


愚痴は役立つ
役に立たない言動を愚痴というのなら
役立つ愚痴はないことになりますね
屁理屈っぽいかもです
愚痴を聞けば愚痴を聞いた事実が起こり
その事実に反応するわけで
それが好ましくないと考えて愚痴と称するのではないでしょうか
反応する事実は役立つことではないのでしょうか
役立つとは恩恵があり
役立たないとは恩恵がない
恩恵あるなら愚痴は生じません
恩恵ないから愚痴は生じるのでしょう
愚痴を言うべきではないというけど
愚痴を言わなくなるということは全て問題なく解決していることにもなるんだと思うわけですが
どうなんですかね
Re: 愚痴は役立つ
沈黙の境地からすれば
当然に愚痴が役立つはずはありません
沈黙の境地に到達するには役立つ気がします
呟日
2025/06/01(Sun) 12:43 No.758

当然に愚痴が役立つはずはありません
沈黙の境地に到達するには役立つ気がします


Re: 愚痴は役立つ
自意識過剰というと必要以上に他人から見られる自分を気にすること
念のため確認したけど定義は合っているらしい
過度が問題を孕むのですが
ある程度の自意識過剰が他人を重く受け止めていて好ましいということのはずです
自意識過剰の対義は無意識(中庸)だそうで
確かに無意識(中庸)を善とするなら自意識過剰は悪となります
しかし無意識(中庸)とは善悪の概念を超越するので
社会通念に従って検討するなら
自意識過剰の対義は無配慮無神経と呼べるものに近いわけですから
社会通念上において安易に自意識過剰は否定されるべき状態であるとは言えないはずなのです
本来はですが
自意識過剰は善ではないのか
2025/06/07(Sat) 17:01 No.763

念のため確認したけど定義は合っているらしい
過度が問題を孕むのですが
ある程度の自意識過剰が他人を重く受け止めていて好ましいということのはずです
自意識過剰の対義は無意識(中庸)だそうで
確かに無意識(中庸)を善とするなら自意識過剰は悪となります
しかし無意識(中庸)とは善悪の概念を超越するので
社会通念に従って検討するなら
自意識過剰の対義は無配慮無神経と呼べるものに近いわけですから
社会通念上において安易に自意識過剰は否定されるべき状態であるとは言えないはずなのです
本来はですが


言い題がない
一息一息一歩一歩噛みしめるように息をつき歩み
精一杯に日々を過ごす
そのような状況について
もう嫌だ
もう耐えられない
そんな風に考えてしまうと益々耐えがたくなるのです
ここまでの話は納得してもらえる気がしている
Re: 言い題がない
体験を感じて
また俯瞰して観察や考察する
ということではあると思う
呟日
2025/05/31(Sat) 10:56 No.752

また俯瞰して観察や考察する
ということではあると思う


Re: 言い題がない
誤解や語弊なく想いを伝えることは
できないんだろうな
と感じていますので
言葉に出来ることが
なくなっていくんです
呟日
2025/05/31(Sat) 11:04 No.753

できないんだろうな
と感じていますので
言葉に出来ることが
なくなっていくんです


Re: 言い題がない
そういう世界があるんだということだけは理解してもらえない人にも知ってもらえるんではないでしょうか
呟日
2025/05/31(Sat) 11:06 No.754



Re: 言い題がない
とんでもない時代に生きているのは間違いない
呟日
2025/05/31(Sat) 12:01 No.755



Re: 言い題がない
気負けしてはいけないという最初の話は
最もらしく感じますけども
気負けするときは気負けしてしまうものだろうことで
取り消させてもらいたいと考えなおしました
呟日
2025/06/01(Sun) 11:56 No.756

最もらしく感じますけども
気負けするときは気負けしてしまうものだろうことで
取り消させてもらいたいと考えなおしました

