その人も又監視観測されている
人も又
他の生物に関心を示して
飼育したり監視したり観測をしたりする
その人も又監視観測されている
他の生物に関心を示して
飼育したり監視したり観測をしたりする
その人も又監視観測されていることでしょう
呟日
2025/06/08(Sun) 12:41 No.770

飼育したり監視したり観測をしたりする
その人も又監視観測されていることでしょう


又監視観測されている
未知と不可思議に満ちているので
それが関心を抱かせて探求が開始される
なにが原因で関心を持ち探求が開始されているかは
忘れてしまうのだろう
元々の原因よりも
ただ同種族の中で生存することが精一杯となってしまっているのだが
その原因は未知なる不可思議の追及にほかならない
呟日
2025/06/08(Sun) 12:53 No.771

それが関心を抱かせて探求が開始される
なにが原因で関心を持ち探求が開始されているかは
忘れてしまうのだろう
元々の原因よりも
ただ同種族の中で生存することが精一杯となってしまっているのだが
その原因は未知なる不可思議の追及にほかならない


人も又監視観測されている
たとえば
動物園や公園に行けば
餌を買い
鯉や動物の動きを観測する
それは何を見たいのか
何が嬉しいのか
あまり考えないのではないだろうか
呟日
2025/06/08(Sun) 12:56 No.772

動物園や公園に行けば
餌を買い
鯉や動物の動きを観測する
それは何を見たいのか
何が嬉しいのか
あまり考えないのではないだろうか


人も又監視観測されている
ただ同種族の中で生存することが精一杯となってしまっている
たとえば動物園のサル山
餌を投げ入れればサルたちは奪い合ったり争ったりする
それが楽しくて餌やりをするのだろうか
それとも一時的にか永続的にか
理想的な動作を期待して餌やりをしているか
同じような感じか
それよりは賢い感じで
人も又監視観測されているかな
呟日
2025/06/08(Sun) 13:04 No.773

たとえば動物園のサル山
餌を投げ入れればサルたちは奪い合ったり争ったりする
それが楽しくて餌やりをするのだろうか
それとも一時的にか永続的にか
理想的な動作を期待して餌やりをしているか
同じような感じか
それよりは賢い感じで
人も又監視観測されているかな


又監視観測されている
生物の飼育目的の大半は関心観察か愛玩で
必ずしも愛する目的だけで飼育されているのではない
という当然なことを書いただけです
呟日
2025/06/08(Sun) 13:21 No.774

必ずしも愛する目的だけで飼育されているのではない
という当然なことを書いただけです


又監視観測されている
やさしい人
読んでくださったんですね
レスをつけるのは躊躇してしまうので
ここへ書きました
もし〇そうな人が目前にいたら
そうですよ
可能な限りは引き止めます
生きれる限りは生きるべきでしょうから
そこは同じです
呟日
2025/06/08(Sun) 22:25 No.781

読んでくださったんですね
レスをつけるのは躊躇してしまうので
ここへ書きました
もし〇そうな人が目前にいたら
そうですよ
可能な限りは引き止めます
生きれる限りは生きるべきでしょうから
そこは同じです


又監視観測されている
リアルでない場合
孤独感や孤立環境の改善は期待できません
なので
こういった文面などでの対応とは
違ってくるものだと思います
呟日
2025/06/08(Sun) 22:30 No.782

孤独感や孤立環境の改善は期待できません
なので
こういった文面などでの対応とは
違ってくるものだと思います


又監視観測されている
無邪気に子供が遊ぶ姿は一般的に微笑ましく好感が持てます
それは無邪気であるからであって又危害を加えられるリスクの低さや
安全性は高いと判断できるからなのでしょう
どんな立場でもリスクが高まるほど余裕がなくなり必死になります
当然ですがサル山へ餌を投げ入れられるのも我が身安全だから可能であり
サルたちは必死ですね
呟日
2025/06/08(Sun) 22:43 No.783

それは無邪気であるからであって又危害を加えられるリスクの低さや
安全性は高いと判断できるからなのでしょう
どんな立場でもリスクが高まるほど余裕がなくなり必死になります
当然ですがサル山へ餌を投げ入れられるのも我が身安全だから可能であり
サルたちは必死ですね


なぜ中庸に至れるのか
確証を得るからです
生きていると理不尽にも遭いますが
それは理不尽ではない理不尽であるのだと
そうでなければ
中庸に至れる道は途絶えます
Re: なぜ中庸に至れるのか
このへんは
言葉に
沢山の障壁があります
無論
中庸に至れていないからです
自意識過剰は善ではないのか
2025/06/07(Sat) 17:26 No.765

言葉に
沢山の障壁があります
無論
中庸に至れていないからです


Re: なぜ中庸に至れるのか
中庸に至り全てに納得したであれば
無駄口を発すればリスクが勝り必要は失せる
そでしょ
自意識過剰は善ではないのか
2025/06/07(Sat) 17:32 No.766

無駄口を発すればリスクが勝り必要は失せる
そでしょ


Re: なぜ中庸に至れるのか
中庸を理解する人が言葉を発するのは
期待や信頼があるからなのでしょうけど
気持ちが期待や信頼に傾倒していけば中庸からは乖離する特性なので
完全に中庸に至る前とか機縁あるときくらいの言葉が最高の助言なのか、も_?
自意識過剰は善ではないのか
2025/06/07(Sat) 17:54 No.767

期待や信頼があるからなのでしょうけど
気持ちが期待や信頼に傾倒していけば中庸からは乖離する特性なので
完全に中庸に至る前とか機縁あるときくらいの言葉が最高の助言なのか、も_?


Re: なぜ中庸に至れるのか
語弊誤解を受けると思うのはわかるので
もう
あまり書けることもない感じですね
自意識過剰は善ではないのか
2025/06/07(Sat) 18:02 No.768

もう
あまり書けることもない感じですね


あ
いや笑笑あのさ笑笑笑って感じ
まだ文句があるんだ。
まあそれはそうか
いやね、たしかに私がドラマやら映画のごとく甲斐甲斐しく笑優しく笑?見守る笑笑笑笑笑笑笑???とかしてやったらみんな幸せなんでしょうね!!!!!!?????!!!!????
そうだよ
あーあ枯れちゃった汚い
だから何だよだからなに?!!!????!!!????
知らなすぎる沈黙
沈黙には絶望も期待もない沈黙と
絶望も期待もある沈黙がある
完全な絶望なら声は上がらない
完全な期待でも声は上がらない
絶望や期待は現象にある
Re: 知らなすぎる沈黙
その声を否定する声は
現象に求めろと期待するけど
その声を否定する声も
現象に求めてはいないという
完璧な期待
充足を求めさせたいのだろうけど
そのような現実ならばない
呟日
2025/06/04(Wed) 11:37 No.760

現象に求めろと期待するけど
その声を否定する声も
現象に求めてはいないという
完璧な期待
充足を求めさせたいのだろうけど
そのような現実ならばない


Re: 知らなすぎる沈黙
つまりは
そういうことになります
不完全なのは人であり
世界は完全である
呟日
2025/06/04(Wed) 11:41 No.761

そういうことになります
不完全なのは人であり
世界は完全である


愚痴は役立つ
役に立たない言動を愚痴というのなら
役立つ愚痴はないことになりますね
屁理屈っぽいかもです
愚痴を聞けば愚痴を聞いた事実が起こり
その事実に反応するわけで
それが好ましくないと考えて愚痴と称するのではないでしょうか
反応する事実は役立つことではないのでしょうか
役立つとは恩恵があり
役立たないとは恩恵がない
恩恵あるなら愚痴は生じません
恩恵ないから愚痴は生じるのでしょう
愚痴を言うべきではないというけど
愚痴を言わなくなるということは全て問題なく解決していることにもなるんだと思うわけですが
どうなんですかね
Re: 愚痴は役立つ
沈黙の境地からすれば
当然に愚痴が役立つはずはありません
沈黙の境地に到達するには役立つ気がします
呟日
2025/06/01(Sun) 12:43 No.758

当然に愚痴が役立つはずはありません
沈黙の境地に到達するには役立つ気がします


Re: 愚痴は役立つ
自意識過剰というと必要以上に他人から見られる自分を気にすること
念のため確認したけど定義は合っているらしい
過度が問題を孕むのですが
ある程度の自意識過剰が他人を重く受け止めていて好ましいということのはずです
自意識過剰の対義は無意識(中庸)だそうで
確かに無意識(中庸)を善とするなら自意識過剰は悪となります
しかし無意識(中庸)とは善悪の概念を超越するので
社会通念に従って検討するなら
自意識過剰の対義は無配慮無神経と呼べるものに近いわけですから
社会通念上において安易に自意識過剰は否定されるべき状態であるとは言えないはずなのです
本来はですが
自意識過剰は善ではないのか
2025/06/07(Sat) 17:01 No.763

念のため確認したけど定義は合っているらしい
過度が問題を孕むのですが
ある程度の自意識過剰が他人を重く受け止めていて好ましいということのはずです
自意識過剰の対義は無意識(中庸)だそうで
確かに無意識(中庸)を善とするなら自意識過剰は悪となります
しかし無意識(中庸)とは善悪の概念を超越するので
社会通念に従って検討するなら
自意識過剰の対義は無配慮無神経と呼べるものに近いわけですから
社会通念上において安易に自意識過剰は否定されるべき状態であるとは言えないはずなのです
本来はですが

